2017年04月16日

エクス・マキナ、不気味の谷




ちょっと、体調崩したので、寝っ転がったまま失礼。

先日。時間が空いたというより。眠れないので何か映画を観ようと思った。そうしたら。加入しているとあるネット・サービスで、兼ねてから観たいと思っていた「エクス・マキナ」が無料で観られるではないか。それで、眠れぬ夜にじっくり観た。眠れぬ夜に観たかった映画を観るというのは、最高だ。



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まあ、あまり知ったかぶりは滑稽になってしまうのを承知で書くけれど、このAIをテーマにした作品、しかも高度な人と区別がつかないレベルに達したAIとなると、必然的に「意識とは何か?」という問いと、そのことへの答えとまでは行かないまでも考察を描くことになる。


そういう意味において、この作品はとても刺激的で面白い。プラトンのイデア論、デカルトのあの有名な「我思う、故に我あり」、さらにはウトゲンシュタインの認識論的な「確実性の問題」と繋がっているのだし、「自分が思考していることに気が付いている」言った主旨の台詞には哲学的アプローチだけではなくて、仏教的なものを感じる。結局、人工知能はそういう事になっていくというか、必然的にそういう事が現れてくる。


人工知能が人間の知能を超えるシンギュラリティが現実的かつそう遠くない問題として現れている今、SFでありながら、妙にリアルで、そのリアルさが、いわゆる「不気味の谷現象」みたいなものも醸し出していて少しホラーにもなっているという、面白さもある作品なのだ。そして、人間の男二人とAIの女二人(二体というべきか?)だけで展開していく、というのも凄い。


男のうち一人は、巨万の富を築いてAIの研究をしているのだが、演じているのがオスカー・アイザックだ。この人はニコラス・ウィンディング・レフィン監督の『ドライヴ』(Drive)と、コーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(Inside Llewyn Davis)でも知られる。



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そして、音楽の方は随分前にこの作品がネットに予告され始めた頃にサントラ盤のVinyl盤を見かけた。確か、クリアな透明盤仕様で、なかなか良かった。欲しいと思ったのだけれど、買わなかった。と、確認したら、クリアはクリアでもブルーが入っている。そう、この美しさに思わず見とれたのだった。


この音楽を作ったのが、ベン・ソールズベリーと、もう一人はなんとポーティスヘッドのジェフ・バロウじゃないか、ということで妙に腑に落ちた。そういう点でも、大好きな作品の一つになった。








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2017年04月04日

岐路に聴く音楽



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ここ数日、またポーランドの映画監督、クシシュトフ・キェシロフスキの作品を観ている。一昨年くらいにほとんどすべての作品を貪るように、何度も観ていた。それがまた始まった。でも、前回とはまた違った心情で観ている。


今は大きな転換期で、そう軽くは決められないことを、じっくり考えている。これから大きく人生が変わるようなことだ。必然でもあると同時に、自然にそういう流れになってきた。そのことと、キェシロフスキの映画をまた観たくなったのは関係がある。再生していると、部屋に流れ出て来る雰囲気が、今塾考していることと、とてもしっくり来るのだ。だから、じっくり観るというより、ずっと再生しておいて、いろいろ考えたり調べたりしていると言った方がいいかもしれない。


そこで思ったのは、使われている音楽だ。「そう言えば、きっとサントラが出ている筈だよな」と思って調べたらいろいろ出ている。某音楽配信サービスで聴くことができると分かった時はかなり嬉しかった。


キェシロフスキの音楽はズビグニエフ・プレイスネルがやっている。全部なのかは確認していないけれど、ひょっとして全部なのかもしれない。「トリコロール3部作」も「ふたりのベロニカ」も「デカローグ」もズビグニエフだ。


それで、考えながら書くこともする時は、サントラをかけることにした。「トリコロール3部作」と「デカローグ」が特にいい。いいというのは好きという意味で、流して置いて、あれこれと考えていると、時に、映画のシーンがふとよぎったりもする。調べたら、CDも出ている。欲しいけれど、ネット配信でも十分かなと思う。


「トリコロール3部作」も「デカローグ」も、そして他の、例えば「アマチュア」、「愛に関する短いフイルム」など、岐路に立つ人間を描いている。勿論それだけではなく、「トリコロール」では「再生」が描かれてもいる。だから、今また観たくなっているのだろうし、音楽を聴きたい、かけておきたいと思ったのだろう。


いろんな、人の意見を聞いたり、話すことで、自分だけで考えることの限界を越えようともしている。昨夜も古い仲間と長く話しをしてもらって、本当にありがたかった。人と人の繋がりは、何よりも大切だと再認識させられた。長く続いた流れから、別の流れへと移行して行く時なのだろうし、そうしなくては人生に流れる水みたいなものは澱んで腐ってしまう。


キェシロフスキの映画の持つパワーとズビグニエフ・プレイスネルの音楽に助けてもらいいつつ、この岐路を歩こうと思う。


いい予感がする。


posted by 相良光紀 at 07:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

部屋は宇宙: Mark Pritcherdを聴きながら





『部屋は宇宙: Mark Pritchardを聴きながら』

(何故か消えてしまっていたので再掲)


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何も書くことがない。と、思う。すると、「そういう時こそ、徒然なるままにじゃないか」と、意識が言う。そいつが誰なのかは分からないけれど、前向きな奴だ。


部屋の中を見回す。亡くなってしまったチャック・ベリーのベスト盤のアナログがレコード立てとして使っているイーゼルに飾ってある。訃報を受けて飾ったのだ。


ジョン・レノンは「ロックンロールを別の呼び方をするとしたら、チャック・ベリー」だと言った。だから、ロックンロールが死んだのだ。でも、ロックンロールには子供も孫も曽孫もいる。だから、ロックンロールは生きている。よかった!


次に、今かけているアルバムはマーク・プリチャードの「アンダー・ザ・サン」だ。


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Mark Pritchard は、あの Global Communication の片割れである。アンビエント・テクノの名盤 "76:14" は一時期よく聴いた。今でも聴く。


エレクトロニック系のアーチストの多くがいろんな名義を使い分けて活動するけれど、マーク・プリチャードも御多分に洩れず、"Harmonic 33" "Africa Hitech"  "Use Of Weapons" などのコラボユニット、さらには "Harmonic 313" "Troubleman" "N.Y. Connection" などのソロ名義を使って来た。それだけではなくて、リミックスもやっていて、Radiohead Aphex TwinDepeche ModeMassive AttackAmy Winehouseなどなど。そんな彼のマーク・プリチャード名義のアルバムは期待せずにはいられなかった。そさて、期待は裏切られなかった。


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トム・ヨークが歌う"Beautiful People " はメロトロンのフルートを使っていると思う。というのは、合わせて弾いたらまったく同じ音だったからだ。それからBibioも参加しているし、Anti Pop ConsortiumBeansも参加している。なんといっても、個人的に嬉しかったのは、あの伝説のアシッド・フォークのリンダ・パーハクスが歌っている曲だった。


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と、ここまで書いて、もうリンダ・パーハクスの歌う曲も終わり、今はインストの曲が流れている。


また、聴いている音は流れていく。瞬間瞬間しかないはずなのに、音は流れとして、流れは音階を伴うメロディーとして聴こえる。聴いているのは当然ながら、耳の鼓膜が振動し、脳に伝わり、意識が聴いている。意識がなければ音は空気を伝わる振動としては在り続けるけれど、音楽は存在しない。などと、ぼんやり思う。


この部屋にあるものが全てだ。とも思う。少なくとも、今の今の、この瞬間は。そして全てのものが、こうして瞬間に在る為には何がなければならなかったかと、順番に辿っていく。


部屋のあるソファーの上の自分。自分は宇宙の全てのものたちがあってここに在る。これは、「信じる」とか「説」とかではなくて、有りの侭の地に足の付いたまったくの現実だ。その自分が在る部屋が在る為にはこの建物がなくてはならず、建物が在る為には、いろんな資源があるこの地球が在らねばならず、地球が在る為には太陽系が、太陽系が在る為には天の川銀河が、天の川銀河が在る為には銀河群が銀河群がある為には宇宙が、と繋がっていく。


そういうまったくの当たり前の何の神秘性も幻想性もないと言っていい現実に思い至る意識と、Global Communicationの音楽は共振しているし、マーク・プリチャード名義のこのアルバムもそうだ。


そして、最初に目に止まった、チャック・ベリーの音楽は、カール・セーガンの案により、宇宙探査機に搭載されて、宇宙空間を飛び続けている。


まさしく、


Go Go

Go johnny

Go Go Go !





posted by 相良光紀 at 13:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする